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仏教の基盤を形成している教えは「生き方」です。

諸悪莫作(しょあくまくさ)   ・・・ もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ・・・ もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい)    ・・・ 自ら其の意<こころ>を浄くする
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)  ・・・ 是がもろもろの仏の教えである

「法句経」等で説かれる七仏通誡偈として示されるこの教えこそが仏教のめざす「生き方」の真髄です。

字面から理解することは簡単ですが、我欲、我執といった人間の心の動きにより、そうたやすくは行えないものです。

生き方の一つにご供養がある
仏教が誕生して2500 年もの時が流れました。

仏教が北インド地方で生まれ、それだけの長い時間が経過し、様々な地域・人・時代・環境というフィルターを通し、大乗仏教と呼ばれる教えとなって 日本に伝わって現在があります。

仏教が日本に伝来した当初は、鎮護国家を目的とし、一部の権力者のみの間でその教えは求められました。しかし、時代が下る中で、衆生済度という 考え方をもって、民衆の生活に必要であり、その時の世を生きる人の下支えとなる教えとして日本全国に広まって行くのです。

その「時の世を生きる人の下支え」として必要とされた仏教の教えが、日本の近代の歴史背景と共に、忌み事のためにある教えのように捉えられてしまい、 一部の仏教者の心無い金銭の強要が、時の世を生きる方々の生活をも脅かす状況を作り出している現状を知ることとなったのです。

仏教が「生き方」の教えであるにも拘らず、死者を弔う教えと勘違いされ、ともすれば「葬式仏教」と揶揄される始末。また、寺がある僧侶が正しい僧侶で、 寺を持てない僧侶はニセ者扱いされる世の状況は、一部の既得権益者の傲慢にもつながる、仏教の教えとはかけ離れた末期的で危機的な状況でもあります。

このままでは仏教の教えが廃れてしまうという危機感から、今の時の世を生きる人の下支えとなり得る教えとして、今一度「生き方」にフォーカスし、 「社会に必要とされる僧侶の在るべき形」を模索した結果、「心豊かな人があふれる社会を創る」を企業理念に掲げ、「生き方の一つにご供養がある」という 考えを提唱し、日本の首都である東京にて「株式會社おぼうさんどっとこむ」は産声を上げました。

なぜ宗教法人でないのか?とよく聞かれますが、日本においては宗教法人と言う税制面において優遇された法人制度が導入されております。しかし、仏教 を弘めるにあたり、宗教法人でなければならないという制約は存在しません。株式会社は利益追求でないのか?とも言われますが、そうならない会社を 作ることもできるということを知ってもらうことが、おぼうさんどっとこむの使命でもあると考えます。

宗教法人は税制面の優遇があることを利用したいがため、様々な組織がその立場を獲得しようと躍起になっている現状があったり、中には売り買いされて いる現実があったりします。

また、その優遇税制を悪用する者や、様々な癒着が引き起こすグレーな金銭問題も後を絶ちません。

そんな悪用され過ぎた法人制度の中に身を置くことが、本当の世の中を知ることにつながるとは到底思えないこと、また、金銭面での流れを透明化すること を考えた時、私たちが選択したのが「株式会社」であったということであり、その形にとらわれることで本意である「仏教の教えを廃れさせてはならない」 という思いを失ってしまうことは赦されない。

この想いが結実した形が株式會社おぼうさんどっとこむなのです。