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葬儀とは?

葬儀とは「葬送儀礼」の略で、葬送儀式の略が葬式です。それを丁寧に言い換えたのが「ご葬儀」「お葬式」ということになります。

人が亡くなると最初に営まれる儀式が葬儀であることはみなさんご周知のことと思いますがさてこの葬儀、亡くなってから何日以内に行なわなければならないでしょうか?

実はそれには決まりはありません。しかしながら死後の遺体は何の手立てもしなければ傷んで腐敗し、骨が残るだけになります。それでも放っておけば、風化し、ボロボロになり、やがては土に還ります。

ただし、そこまで放っておくことが現代の日本というところで可能かといえば、まったくもって不可能ではないかと思われます。野垂れ死ぬという表現がこの「葬儀」の話に不似合いなのはわかっておりながらも話を続けます。

現代では病院で亡くなる場合が多く、その死亡確認が行なわれるとすぐに、ご遺体の管理は病院からご遺族(家族)に移ります。そして病院からは「○時間以内(長くとも24時間以内)にお引取りをお願いします」との申し伝えを受けます。

そこでご家族は葬儀というものの実際に手を掛けることとなり、ご遺体となった故人様を病院から出して運ばねばならないという現実が突き付けられます。

 

長く患っていたりお年を召されていたりと、ある程度ご家族に覚悟や準備の時間がある場合にはまだいいのですが、突然の出来事で病院に運ばれて数日、なかには数時間で亡くなったというような状況の場合、気が動転していたり、頭が混乱した状態で、病院からの申し伝えを聞くことになります。

 

この時、家族の意思や故人の遺志でその後のことを考えてある場合以外、ほとんどの方が「どうしたらいいのだろう」となることが予想されます。

 

元気な人や若い人は、自分のことや周りのことを”死なない”と信じ込んでいますが、人は生まれたなら必ず「死」を迎えるのです。その「死」が近くなってようやく自分の「死」の際のことをやおら考え出す。みんな自分や家族の「死」のことを考えない、いや考えたくないないのです。

だから終活が流行るのですね。いざ、というところまで来てからようやく考える。でもそれは日本という国だからでしょう。

これが自然に近い生活をしている国や部族であったり、身近に常に戦争や武力衝突のある国々では、常に「死」と隣り合わせで幼い命さえ生活しているのです。日本人が平和ボケしてしまったと言われても致し方ないと思うのはわたくしだけではないでしょう。

「人生50年」の時代がたった100年前までの日本でした。そう、大正時代の日本人の平均寿命は50歳に至りません。わずか100年で日本人の平均寿命は35年以上伸びてしまったのです。100年前の日本。それは戦争もありながら生きていた時代。こんなに便利でもなければ、こんなに周りの人の「死」を気にしない国でもありませんでした。

それが今はどうでしょうか。隣の人が死んでいても気づかない、そんな状態になってはいませんか?

文字や情報で人を殺せる時代まっただ中で、人の「死」に対して、軽々に”燃せば終わり”というような状況に至ってはいないでしょうか?

 

さて、身近なこととなって初めて気づく「死」という現象。そしてその後に起こる葬儀までの顛末。どうしたって考えておかなくては急なことにも対処できません。

その中においても、絶対に「しなければならないこと」と「故人・遺族の思いや希望でされること」の区別を付けておかないと、葬儀自体が業者主体の金儲けに取って代わられてしまいます。

人の死を悼む、弔うといった儀式としてよりも、故人や遺族そっちのけで人にどう見られるか、どう思われるかという見栄体裁が先んじているのではないかと思われる時代が、戦後の高度経済成長期からバブル期まで続いてきました。

その流れは、儀式としてよりも演出過多、おもてなし過多の見せるための葬儀へと偏重していきます。

故人、また遺族が本当にそう望んでいなくとも”みんながこうされます” “一般的にはそうされます”という言葉に惑わされ、”うちもそうしないと”と思い込まされてしまい、本当はどうしたかったのかを考えることなく業者からの提案をただただ受け容れる葬儀が出来上がります。

 

でも本当にそれでいいのでしょうか?

 

葬儀は大切な人の死を悼み、悲しみや辛さと共にその大切な人の死とどう向き合い受け容れ、感謝に変えていくかに関わる大切な機会です。

この話の最初にも申し上げた通り、葬儀は亡くなって何日以内に行わなければならないという決まりはないのです。

頭が混乱している中で”最速で最高”は考えづらいかもしれませんが、「ゆっくりと最善」なら考えることが出来るのではないでしょうか。

そのためなら、火葬を先にしてゆっくり葬儀は後にする、命を、人の「死」を大切に考え扱っていた時代の「密葬、本葬」という考え方も今の時代、再考の余地があるのかもしれません。

急ぐことや間引くこと、簡素化などが持て囃される時代でもあります。たしかに時間は有限ですが、大切な人の最期の時をどんな形で共に過ごし、どんな形でけじめをつけ、どんな形でその後の人生を感謝で生きるのかを考えられる時間に充てることをゆっくりしてはいけないものでしょうか?

遺体はしっかりしたケアさえしていただければ、ドライアイスの処置と部屋の温度管理で1週間はほとんど傷まずその日を迎えることは可能な時代です(時に最盛期の夏に関しては、棺に納める「納棺」を先んじて行なうことも出来ます)。

“急いては事を仕損じる”とならないためにも、亡くなった後の時間は特にゆっくりと考えを整理する時間を取っていただくと、葬儀が本当はどんなもので、人の死がとても悲しくも有難いものだと感じることができるのではないでしょうか。

この時間の余裕が、葬儀を共に創る人と人とが織りなす儀式として、そして故人や遺族、お坊さん、葬儀担当者、会葬者、故人・遺族と今までに関わってくれた人すべてに感謝を奉じる機会として、人の命の大切さ、その人から受け継ぐべき素晴らしきこと、反面教師としたい欠けたところ、命が有限だからこそ気づかせていただけるすべてが葬儀には詰まっているのです。

どうか形にこだわらず、「葬儀は自分で創る」にこだわって、葬儀という儀礼を考えていただきたいと思うものです。

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