お彼岸とは?
お彼岸には「お墓参りに行って、先祖に手を合わす期間」というイメージをお持ちの方も多いと思います。
では、なぜお墓参りするのでしょうか?毎年、何月何日がお彼岸かと問われたら、正確な答えに窮する方も多いかもしれませんね。
お彼岸は春と秋の年2回あり、春分の日・秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前後3日間の1週間をお彼岸の期間としています。
春分・秋分の日は国民の祝日でもあり、昼と夜の長さがほぼ同じ日。太陽が真東から上り、真西に沈む日でもあります。
日本においてお彼岸の最古の記録とされるのは、日本後紀にという古い書物に見られる「延暦25(806)年、春分・秋分を中心にした7日間において、金剛般若波羅蜜多経を崇道天皇のために転読せしめた」というものです。
1200年も前の平安時代にはすでに、春分・秋分の日が仏教信仰と結びついていたことが見て取れます。この法要が恒例となり、朝廷の年中行事となってお彼岸の供養が始まっていくようです。
また「彼岸」とは、サンスクリット語の「Pāramitā(パーラミター)」を漢語に意訳したもの「到彼岸」に由来し、仏教でいうところの「悟りの世界」を表しています。
ところで、お彼岸の供養や信仰の形態は日本独自のもので、他の仏教国とされる国や地域にはお彼岸の風習は存在しません。
古来より日本には、太陽信仰や先祖崇拝という土着的な信仰があり、太陽が真東から上り真西に沈む日を、特別な機会と捉えていた向きもあり、陽(日)に願い祈る「日願(ひがん)」が、後に仏教の彼岸と相まって現在形の信仰になってきたようです。
日本独自の風習・習俗に、太陽が真西に沈むことから「西方浄土」に想いを馳せるといった考え方が加わり、先祖を供養し、お墓参りをするという風習が醸成されてきました。
暑さ寒さも彼岸まで」との言葉もあるように、真夏の暑さは和らいで、真冬の寒さも峠を越し、日中の気候は過ごしやすくなるお彼岸。
自分の身、この有難い命を墓前に供え、これまでの日々を振り返りながら、近しい故人様の良きところを受け継げているか、そしてご先祖様に恥ずかしい生き方をしてはいないかと自身に問いかけ、お彼岸の機会を活かし、自らの生き方を調えていただきたいものです。
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お彼岸料金
内容 | 会員料金 | |
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お彼岸基本料金 | 宗派指定なし | 15,000円 |
宗派指定あり | 30,000円 | 僧侶指名あり | 40,000円 |
お彼岸基本料金
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年忌法要とは
年忌法要とは、各故人様とご縁のあった家族、親族が、忘れ切ることなく、これくらいの期間でしっかりとその故人様のご遺徳を偲び、故人様に自らの生き様を供え、命を受け継いだ者、縁があった者として、故人様の良きところは手本として、故人様の至らぬ部分は反面教師として、しっかり今ある命を生きて活かしていますと奉告申し上げる機会です。