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お彼岸とは、年に二回廻ってくる「春分」「秋分」の両日を中心に前後3日間ずつ計7日(1週間)を指す日本独自の仏教的行事とされるものです。

仏教の発祥の地とされるインド・ネパール、経由地で発展の地とされる中国においてはお彼岸の仏教行事的なものはほとんど見ることが出来ず、日本古来からの民間信仰や自然崇拝、すべてに神が宿るという「八百万の神」に類を違わず、太陽信仰やそれに付随する民間習俗との相まったものとして、日本人の心に根付いている仏教の信仰形態の一つでもあります。

春分の日、秋分の日は、お中日(おちゅうにち)とも呼ばれ、この日は太陽が真東から上り、真西に沈む日であり、仏教の中の浄土思想によれば、死者の往く先である極楽浄土は西の方角に在るとされ、故人を偲びまた自身の極楽往生を祈るには非常にわかりやすい日でもあり、同時に日本の祝祭日にも当たりお休みの方が多く、お墓参りやお寺の行事も多く執り行われます。

春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日とされ、秋分の日は「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ」日とされており、自然崇拝、太陽信仰、先祖への感謝、故人への感謝を向けるにはもってこいな日でもありますね。

まず、「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」である春のお彼岸の中日、春分の日から考えてみましょう。

春は芽吹き、花咲く時季。日本には四季がありますから、その折々の自然の美しさ、豊かさ、そして時には厳しさをも感じることができます。

ともすれば人間は、自分たちが自然の一部であることを忘れ、人間の都合で自然を荒らし破壊して、我が物顔で便利さや人間にとっての快適さを追求し、その姿たたるや、自然は我々が利用するものだと言わんばかりの状況下でもあったりします。

そういった傲慢さや、ともすれば増上慢になりがちなわたしたち人間も、自然の一部であると気づく機会として、その命の有難さや命あることをたたえ、すべての生物(鉱物、水、また風などの自然現象をも)をいつくしむ時間をとったらいかがでしょうか。

そして「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」とされる秋のお彼岸の中日、秋分の日から考えるのは先祖や故人様への感謝ではないでしょうか。

さらには、秋は収穫、実りの秋。春の種まき、芽吹きからの時を経て、雨、太陽、土等の自然の力添えのご縁をいただき、秋はその命の恵みを有り難く頂戴する時季でもあります。

四季に応じて、様々な顔を見せる自然を通じて、作物が実り稔って、我々人間の命を生かし活かす役目となってくれる。その恩恵は、先人の知恵からいただいたものが多いはずです。

その先人でより身近な存在である各家のご両親や近しい故人様ひいてはご先祖様に、敬意を表し、感謝を申し上げる機会を与えていただけるのがこの秋のお彼岸であると、一人ひとりが心に決め、今ある自らの命をきちんと生きて先祖、故人様に恩返しのできるような生き方をしてきているかどうかを、しっかり振り返る機会としていただきたいものです。

そして、このお彼岸の時季は多くの方が「お墓参り」に行かれることが多いかと思います。その心がけや思いはすばらしいのですが、このお墓参りの際には注意も必要です。

霊園が多く存在する地域では、「お墓参り渋滞」なる交通渋滞が発生して、遠方からのお参りにはあまり適さないかもしれません。

しかしながら、お盆は「先祖を自宅にお迎えして行なう行事のこと」で、お彼岸は自分たちも向かいたい極楽浄土にいらっしゃる(とされる)ご先祖や近しい故人様のところへと「家族が出向いてお参りをする日」と思われている方が少なくないと思います。

たしかにそれも間違いではないのですが、お墓にお参りする日というよりも、先祖への感謝を通じて自分の生き様を振り返る機会として生かすことが出来る1週間ともされているのです。

実は、この「お彼岸」、その1週間を通して「六波羅蜜」という仏教の実践修行法を、各々が意識して過ごす機会にされることも推奨しているのです。

お彼岸の中日前の3日間で、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)という六波羅蜜の前半、「身をもって行う3徳目」の実践に1日ずつを当てて、実行していただく意識をもたれてはいかがでしょう、と勧めるものです。

布施とは、金銭をお寺や僧侶、お坊さんに喜納することだけではありません。布を広げた如くに、広く施すという意味の布施行です。

困っている人に親切にすることや、お墓参りに行ってゴミが散らかっていたら素通りせずに拾って片づけをしたり、笑顔を向けて差し上げることだけでも相手の気持ちを楽にすることにも繋がってきます。

要するに自分以外のためにという「利他」の精神でする行ないはすべてお布施になるということ。それを意識して行なうだけで、この布施行を努めることができます。

そして2日目、「持戒」の行を意識して過ごす日にされてはいかがでしょうか。

戒めを持続するのは簡単なことではありません。つい、自分のこだわりや自分の都合、状況によって「ま、いっか」と自分に甘くなるのが人間です。

お彼岸のこの時期、1日だけでも、しっかり戒めを意識して行動を律し善行を為せるよう、心掛けてみてはいかがでしょうか。

3日目、「忍辱」の行を実践してみましょう。

忍辱とは、辱めを耐え忍ぶということ。人に馬鹿にされたり、憎しみや蔑みの言葉や態度をぶつけられた時に、いかに心を乱さず、堪えて冷静にいられるか。

日々の生活の中では、ちょっとしたことにもイラついて、心を乱しがちな状況にたくさん出遭います。そうしないように、見ないように聞かないようにしていても、ちょっとしたきっかけですぐに引っ張られるのが人間の弱い心です。

心乱さず、何を見聞きしても平静でいられる時間を自ら作れるように、意識して過ごすことで忍辱を行じて過ごす1日を持てると思います。

そしてお中日。前半の3日間の布施、持戒、忍辱を行じた自分を振り返り、その日その日を布施、持戒、忍辱を意識して過ごせたかを確認してみましょう。そして出来ていないことに気づいたなら調え直す意識をしましょう。

出来ている自分がいたなら、その身を供えて真西に沈むお日様に「後半の3日間も、精進行、禅定行、智慧行を意識して過ごし、自らの生き方を調えて、ご先祖様とみなさま(お父さん、お母さん等)と同じように、亡くなった後には極楽往生できますように」との祈りをもって、心安らかに礼拝しましょう。

さて、お中日を前半の3日間の振り返りと心を落ち着けての極楽往生への祈りで終えたなら、後半3日間は、精進、禅定、智慧の行へと勤しみましょう。後半3日間は「心の行」にてさらに深く、さらに広く大きい、仏の悟りへ向けての行に触れて過ごしましょう。

そしてお中日。前半の3日間の布施、持戒、忍辱を行じた自分を振り返り、その日その日を布施、持戒、忍辱を意識して過ごせたかを確認してみましょう。そして出来ていないことに気づいたなら調え直す意識をしましょう。

出来ている自分がいたなら、その身を供えて真西に沈むお日様に「後半の3日間も、精進行、禅定行、智慧行を意識して過ごし、自らの生き方を調えて、ご先祖様とみなさま(お父さん、お母さん等)と同じように、亡くなった後には極楽往生できますように」との祈りをもって、心安らかに礼拝しましょう。

さて、お中日を前半の3日間の振り返りと心を落ち着けての極楽往生への祈りで終えたなら、後半3日間は、精進、禅定、智慧の行へと勤しみましょう。後半3日間は「心の行」にてさらに深く、さらに広く大きい、仏の悟りへ向けての行に触れて過ごしましょう。

まず4日目の精進行を精一杯行なう。心を込めて行なう。手を抜かない。途中で投げ出さない。怠惰に流されない。目の前のこと一つひとつをそのような思いで行なう。

それがすべてに相通ずる精進です。自身の心のありようを具に感じながら、自身の行ないを大切にすることで、精進を意識して過ごす1日にいたしましょう。

5日目は心を乱す要因を見極め、心を安定した状態に保つことを意識して過ごしましょう。それが禅定であります。

坐禅といえば心の安楽、安定を得るのに活用できる行法ですが、坐禅をせずとも心を乱す要因から離れ、気がかりなことなどがあっても、自身の心の安定を得ることはできることを意識しましょう。心が乱れるとわかっていながらついついやってしまうのが人間です。

それをしたらどうなるのか、それをしないとどうなるのか、しっかりと見極めて、不安で心が波立たないように意識して過ごす1日を持ちましょう。

そして6日目、智慧行を修めましょう。智慧とは仏様の智慧であり仏教の完成形を意味しますが、そう容易くは行えないものでもあります。

「善を為し悪を為さず」と古来より仏教は教えますが、善悪の判断すらあやふやなわたしたちがどうすれば智慧の行を修められましょうか。

それは、これまでの5日間で積み上げてきた布施、持戒、忍辱、精進、禅定のすべてを通して得た感覚、考え方、取り組みを総合的に捉えることで適うものであるのです。

一つも欠けず布施、持戒、忍辱、精進、禅定を貫く心のありようを行ないに映すことが智慧であり、それは容易ではないものの出来たなら世の中の役に立ち、人の役に立ち、ひいては自分の役に立つ、窮めて深く広く大きいものとして、自分の人生に役立つ智慧となると心得て、布施、持戒、忍辱、精進、禅定を活かす心がけをいたしましょう。

お彼岸という日本仏教が与えてくれた有難い機会を余すところなく活用して、みんなで幸せになりましょう。

 

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