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お亡くなりになられてから32年。一故人様の法要としてはいよいよ供養止めとなる三十三回忌(33回忌)の忌日が廻って来ます。<※他に、五十回忌(50回忌)供養止め説もあり>この三十三回忌を供養止めとする説は、十三仏の信仰をその所依としていると思われます。

十三仏の最後の仏様である虚空蔵菩薩は、限りない福徳と智慧でご教導され、次の生への輪廻の実在をも示すべく、尽きることの無い慈悲と赦しとを湛えている仏様です。天空を無限の宝蔵として数多の福徳おさめ、すべての衆生がその名を一度でも念ずれば、祈りに応じて現在そして未来の利益を授け、施し続けても尽きることのない福德と智慧を持つ菩薩という意で虚空蔵と呼ばれます。

善い行ないを重ね、悪に堕ちることなくその善行を修めれば、全ての願いをかなえてくれる存在であり、虚空蔵菩薩は広大圓満な宇宙そのままを人格化した仏様です。

人は死後に、数多の仏の説諭、教導、支えにより、俗世で行なってきた諸々の悪業への懺悔と仏として執るべき行ないの指導をいただきながら、仏の世界での時を過ごします(※ただし、仏の世界には時間という概念はなく、現在・過去・未来が一体となった「今」にのみ最善を尽くせるようになります)。

年忌供養に配される十三仏は、死者を清浄にし輪廻してなお善を為せるよう説諭、教導、支えられているのです。
また、三十三回忌(33回忌)が供養止めとされる由縁は十三仏の信仰のみでなく、現実の世代の移り変わりと関係しているとも思われます。

30数年という時間が流れ、顔がわかり、話したことやほめられたこと、叱られたことや厳しく諫められたことなど、記憶の中にあるひとならば気持ちを込めて「供養しよう」という思いになれても、その人の名は知っているが顔も声も知らないし関わったこともほとんど無いといった方に、気持ちを込めて法要や供養ができるかといったら、それは難しいのではないでしょうか。

なので一故人としての法要の区切り「供養止め」はこの三十三回忌(33回忌)を以って最後にして、その後は「先祖」に組み入れて、お盆、お彼岸といった毎年に廻ってくる供養・回向の機会に感謝を奉じ、見ることや感じることが簡単ではないとされる、あちらの世界での安寧を祈ることに移行して行くのだと考えることができます。

お坊さんを呼んでお経を供えていただくことは、死者の為の供養でありまた現世に生きている家族の「生きる糧」ともなるものです。お経には善き生き方の教えが多く示されています。なので読経をすることは回向すること。すなわち仏教の教えの功徳を他者に回し向けることになります。

お念仏でもお題目でも、お大師様の法号でも、善き教えの基いになるものであれば、口に出してお唱えすることで、仏の教えの功徳を他者に回向し、諸霊の安寧を祈り、同時に自らの行ないを調えることにつながるものです。

十三仏が導いてくださるように、供養というのはとても大切なことですが、「させていただく」ものとして、まずはご自身やご家族が、自らの日々の生活を善なるものにできるように、怠惰や怒りや貪りに寄らないように、故人様そしてご先祖様に心配を掛けない生き方を出来ているかどうかを年忌法要の機会、お盆お彼岸の機会に、故人様ご先祖様を活かすことを心がけ、自らの生き方を調えさせていただけるものとして、十三仏の教えと共に、一故人様の供養止めとなる三十三回忌(33回忌)の法要を修めてみてはいかがでしょうか。

そんな思いで三十三回忌(33回忌)の法要を営まれたい際には、おぼうさんどっとこむまでご連絡ください。

一故人様として最後の法要とされる三十三回忌(33回忌)を、より良き機会として修められるように、おぼうさんどっとこむは、あなたのお気持ちが籠ったご法事への最大限の助力を惜しみません。是非ご相談だけでもお寄せください。

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