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本日はおぼうさんどっとこむ法要施設にて

M様の13回忌及び23回忌

N様4霊の位牌開眼法要を承りました。

昨夜からの雪も心配されましたが、

東京都西部では思ったよりも積もらず。

天気にも恵まれ、

良き法要の日となったのではないでしょうか。

法要にお越しになる方は

それぞれが様々な想いを抱えていることと思います。

少しでも供養を通じて

皆様の心の下支えができれば幸いでございます。

本日はおぼうさんどっとこむ代表の林(法名:行摂 ぎょうしょう)

が務めさせていただきました。

東京都昭島市の法要施設にお越しいただき

ご宗派に特段のこだわりがなければ

林が供養をいたします。

法話の中でこのような話しをしました。

 

人間というのは「記憶」

という能力が与えられています。

記憶は「覚える」という力があると同時に

「忘れる」という力も備わっています。

大切な方を亡くすということは

悲しみが尽きません。

悲しみが深ければ深いほど

それを癒すのには時間がかかります。

辛い、辛いばかりだと苦しくなってしまいます。

でもそれすらも「忘れさせてくれる」

というありがたい力でもあるのです。

そして、故人の良きところ、悪しきところ、

それを今一度思い起こすことができる

それもまた、ありがたい能力です。

少しずつ、少しずつ

苦しみを忘れ

その人の良いところ

抱きしめてもらったこと

声をかけてくれたこと

やさしくしてくれたこと

そのおかげで今こうして生きていられるということ。

その「想い」を

亡くなった人の代わりに

残された皆様が引き継いでいくことが大切です。

周りの人にそういう心配りをしていくのです。

供養という機会をそうやって使っていただけると、

亡くなった方は皆様の中で生き続けるのです。

皆様がその生き方を受け継いでいく限りは、

故人は生き続けます。

そして、その生き方をあとに生きるものに受け継いでいく。

命というのはそうやってめぐります。

恩返しは簡単にはできません。

でもその想いを次の世代に渡すことはできます。

是非今回の法要を想いを活かす

よりよい生き方をしていく

そのようなきっかけとしていただけたら幸いです。

 

いかがでしょうか。

法要の機会は「お坊さんがお経を読む」

それだけで故人が浮かばれるわけではありません。

あくまで供養は残された皆様が行うものなのですね。

その捉え方も人それぞれですが、

このような考え方をしてみるのも

供養のひとつなのです。