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<代表 林の法話より一部を抜粋>

今回は「お釈迦様」について取り上げます。

お釈迦様が生まれたのは2500年ほど前。

実在した人物と言われていますが、

さまざまな説があり、

実はよくわかっていないことも。

それでも仏教の開祖として、

今の時代に深く存在し続けています。

ここではお釈迦様の歩んだ歴史を、

かいつまんで紹介します。

 

お釈迦様の誕生

 

お釈迦様は、紀元前5世紀のころ、

北インドの小国(現在のネパールのルンビニ)

で釈迦族の王子として浄飯王(じょうぼんのう/シュッドーダナ)と、

その妃、摩耶夫人(まやぶにん/マーヤ)の間に誕生され、

ゴータマ・シッダールタと名付けられました。

母マーヤが出産のため里帰りする途中、

休憩のため立ち寄ったルンビニの沙羅の花園で

母の右の脇腹から生まれたと言われています。

母マーヤは産後1週間で亡くなり、

その後は母の妹、マハープラジャパティーによって育てられました。

名前のゴータマは「最上の牛」を意味し、

シッダールタは「目的を達せしもの」

の意味を表します。

 

お釈迦様の幼少から青年期

 

お釈迦様は、誕生直後、

7歩歩んで右手で天を左手で地を指し

「天上天下唯我独尊」と話したとされます。

お釈迦様は、国王である父らの期待を一身に受け、

恵まれた生活の中で、教養と体力を身につけられました。

多感で聡明で立派な青年へと育たれ、

16歳で母方の従妹ヤショーダラーと結婚し、

ラーフラという男の子をもうけられました。

一夫多妻の世の中であり、

妃も他に数名いたとされていて、

ヤショーダラー以外の妃との間にも子がいた

という説もあるようです。

 

お釈迦様の出家への歩み

 

ある日、王国の宮殿で宴があり、

それに列席していたお釈迦様は、

宴の終わった後に侍女の酔いつぶれて、

だらしなく眠る姿に幻滅し、

厭世の思いが起きたようです。

また、農耕民族であった釈迦族にあって、

身近に起こる小動物の食物連鎖によって、

死の呆気なく訪れる様に愕然とします。

また、ある時、お釈迦様が城の東門から出ると老人に会い、

南門から出ると病人に会い、

西門を出ると死者の葬列に会い、

生があることにより

老・病・死という人生の苦悶を知り、

悩みの中にありました。

そしてある時、北門から出ると

1人の出家者に出会い、

その苦や汚れから離れた清らかな姿を見て、

これが自分の生きる道であると感得し、

城を抜け出し、

髪を切り、

出家の意志を貫かれました。

 

お釈迦様の成道(覚り)への歩み

 

出家して後、

三人の師のもとを訪れますが、

死後の天上界への生まれ変わりを目標としていたり、

無所有処という人の煩悩は滅せない教えを最高の覚りと思っていたり、

非想非非想処という教えを得るだけで、

真の覚りには近づけないと感得します。

そこでお釈迦様は自身で探求する道を選ばれ、

6年間もの間、様々な苦行をしますが、

心身が衰弱するのみで、

自らの求めている人生の苦を滅すための根本的覚りは得られないとして苦行を捨て、

ネーランジャナー川で沐浴し、

村娘スジャータの乳粥の布施を受け、

滋養を回復し、

ピッパラ樹(後の菩提樹)の下に坐し、

堅い決意の下瞑想に入り、

悪魔たちの妨害を退け、

ついに12月8日の未明、

覚りを得ることとなられました。

 

未来の在り方を見つめて

 

お釈迦様が「縁起」を感得されて、

2500年もの時が過ぎ去りました。

仏教の教えも時代、

地域、環境、人等の様々な要素により形を変え、

現代の日本に存在しています。

仏教の教えの中には、

「こうしてはならない」という戒めはあっても、

「こうしなければならない」という強要は存在しません。

さらに仏教は「これが最善だ」

とも指し示してはくれません。

「こうされてはいかがですか」

と提案してくれるのみです。

自らの心を決めていく。

人間は瞬間瞬間が選択の連続です。

最善の判断をするために、

心を決める訓練をし続けているのが人生であると思います。

自分の未来が幸せであるために、

ご家族の未来が幸せであるために、

今何をなすべきか?

自らの心を決め、

行動し、その責任は自らが取って生きていく。

そのためには徹底した自問自答が必要となります。

仏教はそうした皆様の穏やかで、

無事で、幸せに生きるための下支えなのです。

今自分が存在する意味を感じながら、

先祖の御霊に感謝の意を向けることにより、

自らの生き方も整うものと考えます。

先祖があの世で蔑まれないように、

皆様の後の時代を生きる命のために、

今、自分がどう生きるのか。

自分が一人で生きているわけではないことを知ったとき、

自らの未来が見えてくるはずです。