お墓を建てたくないんです
という方に、お墓を建てる理由を説明する必要がありますか?
みなさま、こんにちは。
おぼうさんどっとこむの林です。
今日は、こんなタイトルから、書いてみました。
さて、そして、”葬儀をしたくないんです”
という方についてもまた然り。
お葬式を行なう理由を説明する必要はない。と、林は考えます。
しかし、火葬は法律で決められていることだから捕まりたくなかったらしたほうがいいですし、遺体が腐敗すると臭いがキツいから、そのままで置いておかないほうがいいでしょう。やらなくてはならないこと、やったほうがいいこと、やらなくてもいいこと、すべてがごちゃ混ぜになってこの世が形成されています。
要は自分がどう在りたいかです。
お参りもしない墓を建ててもただの負の遺産です。潔く、合祀(お骨をみんなといっしょにされる形式のお墓。個別に骨壷のまま数年〜希望の年数まで取り置いたりしてくれるところもあるが、費用はそれに準じて高くなります)させる埋葬施設に埋葬するか、散骨許可所に散骨するか、宇宙の果てに浮遊させる宇宙葬なんてのもある時代です。
♪ わたしの〜おはかの〜前で、泣かないでください〜 ♪ と歌われたように、確かにいつもしかも永遠にお墓の中に大切な方は居ないと思います。
ただ、その墓という目印を通して、生きた日のあの人と繋がれる。そう感じる人は少なくないでしょう。
それは、その墓石、墓所に、「想い」「念」という波動をみなさまが与え、感じているからに他なりません。また故人様も其処を通して、現じて隠れてを繰り返しているものと思います。
その「想念」が込められ、各ご家族各ご家庭が終の住処と決めた場所が「お墓」であり、ただの遺骨置き場や最終処分場では決してないのです。だからこそ、お墓を建てて、埋葬(納骨)をして、その後まったくお参りにも来られていない様子のお墓を見るたび、心が痛みます。
自宅に安置してあった期間は、目に入るし、また、お骨と少しでも長く一緒にいたいと言われる方も少なくはなく(特にお子様や連れ添って日の浅い連れ合いの方を亡くされた方などは)、それなのに、そういった方々でも、お墓、墓地、墓所、霊園といった埋葬施設に納骨されると、物理的距離が発生して、知らず知らずのうちに、お墓は草ボウボウ、霊園や納骨先の施設には管理料を支払っているのみの”骨置き場”にされてしまっているケースも少なくないように思います。
今一度、そういった方々に、お墓を建てる意味を考え、建てたなら建てた責任を負うこと、ただ料金だけ支払って骨置き場にしないことを考え、盆暮れ年始、春秋彼岸、近しい故人様の祥月命日など、仏教側から指し示している機会に加え、納骨、埋葬されているご縁のあった故人様方に、想いと念、そして一番身近で大切なお供えである「わが身わが命」をお供えし、自らの生き様、生き方を調えさせていただける場の一つとして、お墓の役目、担いを、考えてみていただけたらと思います。
どこに在るかではなく、今此処にある「わたしの命」は戴きものの本当にありがたい、「在ることのほうが難しい」当たり前でない生命である事に、気づかせていただける場としての「墓」を考えていただきたいものです。
そして、お墓で繋がれるたくさんの縁に、護られ、背中を押され、わが命の生きるカタチを創っていただけたなら、世の中は『みんなで倖せになる場』として、再認識されることでしょう。
みなさまのより良き生き方の支えは、近しい故人様の生き方からの受け継ぎ、継承です。
何を自分の命をより良く生きるために受け継ぎ、何を反面教師として受け継がぬかは、みなさまの選択、決断に委ねます。
素晴らしい今からを創るために、そのより良き生き方を、今日、今からはじめましょう!
合掌 林 数馬