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「お母さんの三回忌だっていうのに…」
「夫の四十九日なのに…」
「おばあちゃんの三十三回忌が来月なんですが…」

コロナ憎しとも言わんばかりに、東京では緊急事態宣言がまだまだ解かれない中、そんな問い合わせが連日おぼうさんどっとこむにも寄せられてきます。

と、冒頭こんな書き出しで、イラっとさせてしまったならゴメンナサイ_(._.)_
おぼうさんどっとこむの林です(汗)

さて、新型コロナ感染症(Covid19)の感染が日本国内でも拡大し、ある地方においては、葬儀がクラスター感染の温床になったとの指摘もあり、法要の取り止めも相次いでいます。

さらには、オンライン法要なるものが救世主のようにネット上で販売され、まぁよくも人の困った状況につけ込む商売をし始める企業もあるもんだなぁと辟易としてしまいます。

しかしこのようなご時世に、そもそも葬儀や法事を行ったり、法要にお坊さんを招いたりすることは本当にダメなのでしょうか?

確かに葬儀の機会には多くの人が集まりますし、ましてや会食の席ともなると、特に親族や深い仲のご友人などは、「3密」に対する意識や飛沫感染の危険性に対する意識を圧倒的に下げてしまうことでクラスター化してしまいます。

ましてや「最後のお別れの機会にマスクなんかしたら失礼に当たる」などという思い込みで、あっさりとマスクをはずしてしまったりと、コロナに感染する可能性を挙げたらきりがありません。

しかしながら、法事にしても葬儀にしても、その儀式、法要そのものがクラスター化する確率は、3密を避ける対応(換気とマスク着用などの対策を整え、手洗い・うがいの励行、除菌スプレーなどの使用を全員がした上で感染するなら、それも神仏の思し召しということなのではとも思えます)を主宰者はじめ、参列者も司式者たるお坊さんも行なうことによって下げることができ、感染は回避されるものと考えますがいかがでしょうか?

とはいえ、それでも「コロナ感染は心配だ」という方がいらっしゃるのが現実でしょう。
そう思われる方にとって、法事については朗報があります。

実は何回忌や四十九日という機会や日付けはあくまで「目安」であり、仏教が教える中には「しなければならない」という強要、強制となる教えは一切含まれていないのです。

当社、おぼうさんどっとこむは仏教を弘めるための会社ですので、仏教の教えるところの「されてはいかがでしょうか」を採用し、みなさまの不安が無くなった上で法事を行う時期を選んでいただくことが最善、最適と考えております。

要は、皆様方が亡くなられた大切な方への想いを不安なく向けられる状況下で営まれるご法要が、故人様にとっても本当にうれしいご法要なのだと確信しております。

おそらく東日本大震災が起こった際、年回忌や四十九日忌、埋葬などのご供養を予定されていた方もおられたはずです。予定されていた主宰者(施主)の方が亡くなって、未だ行方もわからないといった状況で、「七回忌だから」とか、「埋葬しないと故人がうかばれない」とかといった理由で、無理矢理決めた日時に法要を行なったという話を、わたしは一件も耳にしたことはありません。

しかも“オンライン”でという選択は、わたしにとってはやっぱり違和感でしかありません。

ご家族ご親族が、元気な顔で一堂に会せる時は必ずやってきます。もちろんその間にもご家族ご親族のうちから何人かは欠けてしまうこともあるかもしれません。

しかし、それこそがわたしたち人間に与えられた生命の素晴らしさでもあるのです。
命は有限です。だからこそ大切に自分の命を生きる上で、先に亡くなった縁のある方たちの供養は「生きている者に与えられた機会」でもあるのです。

おぼうさんどっとこむでは「生き方の一つにご供養がある」と考え、みなさまのコロナ禍におけるご供養の形を共に考え、創り出すべく精進を重ねています。

ところで、今回の大騒動の主役となったウィルスも、人類がこの地球上に現れる前から「在った」ものです。その命同士が、力の比べ合いをすれば諍いや争いが起き、勝ち負けをその判断の軸においてしまいがちです。

しかしながら、双方とも今の今まで長きに亘り絶滅していない命なのですから、調和して生きていくことが可能なのだと思います。いろいろな人種が集まり、生活をさせていただいている地球という星には、これまた多種多様な宗教も存在しています。

わたしたちおぼうさんどっとこむは、基本的には仏教の教えを基に、世の中が安穏であるためにその素晴らしき教えにより、多くの方々が幸せであるようにお力添えをさせていただいている会社です。

今回の新型コロナ感染症によって、多くの生活様式の見直しがもてはやされることになるかとは思いますが、本当に自分たちが自ら進んで行ないたいことは何なのか?を見失わないようにするために今回のコロナ騒動は起こったのかもなぁ、と思ったりもしています。

だからこそやっぱり、

『自分のことは自分で決めて
その責任は自らが負える』

そんなひとづくりを目指し、おぼうさんどっとこむは、今からの新しくも根底に信心のある供養を推進していく所存です。