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「ありがとう」という言葉の意味

友人、家族、職場の人、

普段から関わっている身の回りの人たちに

感謝を伝えたいと思うことありますよね。

是非「ありがとう」と言ってみてください。

そんなのあたりまえ!

普段から言っているよ!

という声が聞こえてきそうです・・・。

そうですよね、「ありがとう」は誰もがよく使う言葉です。

でもその言葉、無意識に使っていませんか?

当たり前のように使っていませんか?

または、家族や夫婦では恥ずかしくて

面と向かっては言葉にできない

なんて方もいるかと思います。

 

ありがとう、は漢字にすると

「有難う」→「有難い」

“有るのが難しい”と書きます。

この命があること

明日があること

安全な食事ができること

風雨寒さを防げる家があること

全てが「有難い」ことなんです。

人に対しても同じで、

人と人とが出会うこと

それ自体が凄く低い確率の中で、

“自分に対して心を向けてくれた”

“繋がりを持ってくれた”

“励ましや厳しい言葉をかけてくれた”

これもまた有難いことです。

これを意識すると

心の底から「ありがとう」

が言えるかもしれません。

別に言葉でなくてもいいのです。

大切なのはその気持ちを伝えること

伝わるその「心」が

相手を幸せにし、

自分も幸せにすることに繋がります。

 

「長者の万灯より貧者の一灯」

 

とある仏教の有名なお話しがあります。

 

日が沈みかけた夕暮れ時。

たくさんの人々の前でお釈迦様が説法をしていました。

そこには富豪が布施をした無数の灯があたりを照らしています。

その中に一人の老女がお釈迦様の話しに聞き入っています。

老女は大変貧しい暮らしをしており、

1日1日を過ごすのに精一杯。

生きる意味さえわからなくなっていたところ、

お釈迦様のお言葉を聞き、

深く感銘を受け、

救われた気持ちになったのです。

この気持ちを表したいと一灯だけでも布施をしたいと考えました。

しかし、老女にはお金がありません。

それでもどうにかお布施をしたいと思い、

金銭を恵んでもらうために一日中駆けずり回り人々に乞いたのです。

耳を傾けてくれる人はほとんどいなかったものの、

なんとか少量の施しを受けることができ、

自分の生活するためのお金までも足しにして油屋に行きます。

ところが灯を照らす油はとても高価なものであったため、

頑張って集めたお金でもとても買えるものではありませんでした。

「どうかお願いします。なんでもしますから一灯分の油を分けてください」

と店主に言うと、どうして油が必要かを尋ねられます。

老女は思いのたけを話すと

「そういうことなら私が足りない分を布施しよう」

とやっと油を手にすることができたのです。

老女の灯は早速無数の灯の中の一つとして温かくお釈迦様や聴衆を照らしました。

お釈迦様の説法が終わり、

弟子の目連が灯を消して回ります。

しかし、一つだけ何をしても消えない灯があったのです。

不思議に思い目連はお釈迦様に尋ねると、

お釈迦様は「この灯は一人の老女によって、全ての人々の心を照らす想いが宿っている。どんな者でも消すことはできないだろう。」と答えられました。

 

このお話しは、

お金持ちの数多くの寄進も素晴らしいが

貧しい者の心のこもった

たった一つの寄進の方がより素晴らしい

という教えです。

相手にどれだけのことをしたかではなく

どれだけも気持ちや想いを向けるかなんですね。

 

おぼうさんどっとこむでも

まさしく多くの方の気持ちや想いに寄り添うため、

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大切な人を亡くされた時

立派なお葬式をあげないと故人に申し訳ないと思っていませんか?

高い戒名を付けることが供養になると思っていませんか?

豪華でなくてもいいのです。

「してあげたい」という気持ちを、

自分なりの言葉や形で表わすことのほうが大事ではないでしょうか。